« Ambient Findability | メイン | Rosenfeld Media 正式オープン »

2chを思う(1):「アイデンティティ放棄」の魔力

私はIAを名乗る以前は、いくつかのコミュニティ・ビジネスに携わっていました。そのため、ネット上で何か新しいサービスが始まると片っ端からユーザ登録するのが習性になっているのですが、最近になり
「どうも自分はあらゆるコミュニティの中でやっぱり2ちゃんねるが一番好きらしい」
という気分が非常に強くなってきたので、そのことについてちょっと考えをめぐらせてみました。

おそらく2chが多くの人を魅きつけている一番の特徴は、匿名書き込みによって自分の発言にほとんど責任を負わなくてすむという敷居の低さ・気楽さにあるでしょう。
ただし、責任を負わなくてすむというのは、自分の書き込みの正確性・妥当性・倫理性を保証しなくてよいということとは受け取られていません。2chをある程度ウォッチしている方なら、書き込みのデータとしての信頼性は必ずしも低くないことは分かると思います。
匿名だからといって、みんながみんなデタラメや「氏ね」発言ばかりしてるわけではないので。
では、何に責任を負わなくてすむのか?それは、
「書き込みAをしたわたしが書き込みBをしたわたしと同じであること」
― つまり、掲示板への投稿者としての自分のアイデンティティを保持すること、です。

普通の(IDが恒久的に固定の)掲示板であれば、自分が書き込みは自分のIDと分かちがたくリンクされ、自分の書き込みの内容がその掲示板での自分のパーソナリティを形成していきます。
間違ったことばかり書いていれば、その人は「馬鹿」だと思われてしまう。
いつもくだらない質問ばかりしていれば、「教えてちゃん」のレッテルを貼られる。

対して2chでは、いわば書き込みの数だけ書き込み主体が存在することが許されるので(※)、ある書き込みをする際にそれまでの自分の発言を鑑みる必要がない。発言の都度、いわば“自分の過去”をリセットできていることになる。
リセット願望が蔓延する今の日本社会に対して、この2chの特性は非常にマッチしていると認めざるをえません。

私たちは、いまや多くの人々が個人としてのブログを書き、SNSで自分のパーソナリティを公開するという、「オンライン・アイデンティティ・バブル」ともいうべき時代を迎えつつあります。
しかしその中で、自分という人間の“一貫したパーソナリティ”を管理することに、そろそろ疲れ始めた人も多いのではないでしょうか。もともと、人間のパーソナリティなんて多面的かつ矛盾もしているし、時とともに移ろうものでもあるのですから。

そのような時代の中で、「2ちゃんねらー」という集合的自意識の中に自分を紛れ込ませ、「いつもの自分/これまでの自分」を放棄してしまえる2chは、確実に多くの人々の避難所としての役割を果たしている面があると言えそうです。
私も2chがなくなったら困ってしまう一人ですし…。

(※)2chをご存知の方には蛇足ですが、2chにもトリップや(テンポラリな)ID付けなどの簡易なアイデンティティ識別手段はあります。ただしユーザが操作可能な方式なので、一般的な固定ID制とは強度が異なります。

ちょっと長くなってしまったので今回はここまで。パート2に続く予定です。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://www.typepad.jp/t/trackback/4351/873824

このページへのトラックバック一覧 2chを思う(1):「アイデンティティ放棄」の魔力:

コメント

コメントを投稿

フォトアルバム

Other Me's

Facebook Last.fm LinkedIn Other Twitter はてなダイアリー

このBlogの購読について

訳書のご紹介

feline pinch

  • with Pikachu on TV set
    Pinch is a cat, born in Tokyo on May 1st, 1999. She is no longer living with me, so these photos are all of my precious memories.

Misc Info

Powered by TypePad