いまちょっと話題になっている「ハイブリッド型ソーシャルタギング」についてのメモ。
ソースは以下のページにある、Raytheon社のイントラネットでの活用事例です。
Social tagging – The Value of Social Tagging in a Corporate Setting
Raytheon社で行われていることを、ごく簡単にまとめるとこうなります:
【1】社員はイントラネット上で、管理者に「注目サイト」として推薦したいサイトのURLと、それに付加したいユーザ定義のタグを送信することができる。
【2】送信されてきたデータは、タグ定義が適切かどうかをライブラリアンによってチェックされ、承認を受けてからイントラネット上に掲載される。
(実際には承認を通らないことは稀で、曖昧すぎる言葉や明らかな間違いでない限り、ほとんどのタグは承認される。意図が不明な場合は、直接ユーザに確認することもある。)【3】検索結果ページでは、アルゴリズムによって動的にランキングされる通常の結果一覧とは別のエリアに、上記の「注目サイト」を表示している。(=表示上、両者を混合しないのがポイント)
また、この事例を紹介したRaytheon社のメタデータ・アーキテクト(海の向こうではこんな肩書きがあるんです…)である Christine Connorsは、この手法が功を奏している重要な理由として:
ライブラリアンが多くの費用をかけてタクソノミーをきちんと定義したとしても、ライブラリアンが実際にその企業で働いている社員たちと同じだけの専門知識を持っているはずがないので、タクソノミーは完全無欠なものにはなり得ない。
社員ユーザが定義するタグは、タクソノミーを補完・拡充するために最高に役立つ情報なのである。
という旨を述べています。
イントラネットという限定的環境における、“人力”を介したこのハイブリッド型ソーシャルタギングの価値を認めている人は結構多いようで、裏を返せば、完全なオープンタギング/フリータギングというものは実際のところどこでどう役に立つのかを疑問視する声も少なくないように思います。
しかしこの“人力”問題は、「ロボット検索とディレクトリ検索、どっちがいい?」であるとか「コミュニティにおけるモデレーションは必要か不要か?」であるとか、今までにもいろいろな局面で繰り返し現れている問題であって、結局はコンテクスト次第だよというお定まりの結論になってしまいそうです。
個人的には、完全なオープンタギング/フリータギングというものは、利用環境が限定的かどうかに関わらず、「自分のためには役立つけど他人のためにはいまひとつ」なものにならざるを得ないと思います。その大きな要因として、[1]言語レベルでの表記のゆらぎ、そして[2]主観性のばらつき、の2つがあります。
[1]については、del.icio.usなどでも実装されているオートコンプリート機能の利用などにより技術的に軽減することも可能です。が、[2]のほうはけっこう厄介。これを無くすことを、完全オープンなユーザ集団に期待するのは無理があります。しかも、実は[1]の要因も、そのベースには[2]があるわけで…。
なので私は、たとえオープンタギングを採用するにしてもある程度のコンセンサスを形成できる程度の限定的なユーザ集団において、「自分のためにも他人のためにも役立つソーシャルタギング」がもっとも実現しやすいのではないかと思っています。
ただ、それはもう“完全な”オープンタギングとは呼べないのかもしれません。つまりこの場合、いわば全ユーザが語彙統制に関わる責任者であるとも考えられるので…
しかし、よく考えると
「自分のためにも他人のためにも役立つソーシャルタギング」
って、トートロジー入ってますねw
実際はソーシャルじゃないソーシャルタギングが存在していると無意識のうちに感じているんですね、私はw
[[See Also]]
・ フォークソノミー編集 (長谷川敦士さん)
・ 言うことでもないかもだけど (谷口一刀さん)
・ 企業SBMの可能性 (長谷川恭久さん)
コメントありがとうございます。おそらく私の文章がややこしくて、意図が十分に伝わらなかったのだと思いますが(すみません)、私が主観性のばらつきが問題となると思うのは、フォークソノミーに汎用性を求める場合だけ、ということです。
たとえばdel.ici.ousなどで「後で読む」というタグをつけているユーザもいるのですが、ここまで主観的というか自分だけのコンテキストでタグ付けされてしまうと、もうフォークソノミーにとっての価値は無いかなと思うわけです。
もちろんそれはある程度まで許されることとは考えているのですが、そのバランスを誰も管理できないわけなので、Flickrとかdel.ici.ous(はてなも入れてもいいかも)くらいの規模まで成長しないと、ノイズばかりが目立つことになりかねないなと思ったりしたわけでした。
ただ、これは自分のすごく感覚的な意見なので、そのあたりに関して定量的な分析ができないかどうかを考えるべきだなとは思っています。
はじめまして。IAに最近興味を持ち始めて色々読み漁ってる者です。
本エントリを読んでひとつ疑問に思うことがあります。オープンタギング・フリータギングに関して主観性のばらつきが問題になるということですが、そもそもFolksonomyでは主観性のばらつきは問題とするのではなく、必要なものだと思います。
あるトピックに対して良いと思う人もいるし悪いと思う人もいるし、少数意見もあります。集団全体が必ずしもコンセンサスを得る必要はなく、むしろ統制するとトピックに関する情報を的確に表せられないと思います。
You Tubeのサイトトラフィック
ほかのフォークソノミー+API提供型のサービスとくらべてもすごい。
Alexaholic matchups: You Tube, del.icio.us, flickr, Last.FM, NY Times
※参考までに、従来型メガサイトの傾向例としてnytimes.comも加えた。よっぽど…