Adam Greenfield、エクスペリエンス・デザインの教訓を語る。
Adaptive Path Blogで先週の必読記事としてトップに上がっていた、Adobe Design Center - Think Tankに寄稿されたAdam Greenfieldのエッセイを読んでみました。すでに海外のIA/UX関係者の間ではかなりの反響を呼んでいるようです。
Adam自身のブログに記事が転載されていますので、そちらのリンクを以下に貼ります。
- On the ground running: Lessons from experience design
by Adam Greenfield
相変わらずかなりの長文なので要約するのが難しいですが、いくつかのポイントを覚え書き(殴り書き?)します。
- まずはここ数年のUX重視の流れをおさらい。単なる「製品」または「サービス」のデザインを超えた、ホリスティックな「エクスペリエンス」のデザインの試金石として、AppleのiPod/iTunes/iTSの統合的デザインを振り返る。
- 2001年にAIGAは、エクスペリエンス・デザインとは「顧客がその製品へのニーズを感じた時点に始まり、それを捨てる時点に終わる、製品のライフサイクル全体」を手がけるものだと定義した。また、デザインを学ぶ人々にとっては、「何かをデザインするには、必ず“一回り大きなコンテクスト”に沿って考えねばならない」というEliel Saarinenのアドバイスが長らく重視されている。
ただし、これらの考え方には実は落とし穴がある。何から何までトータルにデザインしようとしすぎると、状況の変化にうまく対応できないケースも生じるからである。
そのような“エクスペリエンス・デザインのやり過ぎ”の実例として、AppleとNikeによる Nike+ iPod Sport Kit の問題点を解説。
さらにもう1つ、世界的デザインファームであるIDEOによる、Amtrakの高速列車「Acela」のデザインコンセプトを例として、UXで一般的に良しとされる“シームレス”なデザインというものが実は弾力性/メンテナンス性に欠け、時間の経過に対処できない場合があることを説明。 - メンテナンスということからか、ここで話はいわゆる“人的問題”にやや飛躍w。結局、どんなに製品やサービスをうまくデザインできても、それを宣伝/販売/サポートする人間の教育とモチベーション維持ができなければどうしようもない。それにからんで、ここではPumaのTrainawayという、旅行者用のスポーツキットの問題点が解説されている。
- では、解決のヒントになるのは何か?ということで、建築の世界におけるいくつかの実績が紹介されている。ざっと列挙すると:
- イギリスのArchigramおよび日本のMetabolists
- Constant NieuwenhuisのNew Babylon
- Yona FriedmanのSpatial City
- Cedric PriceのFun Palace
- Reyner Banhamらの“non-plan”建築
(※おいおい1つずつチェックしてみます・・・)
- サイバネティックス専門家 Gordon Paskも、これと同様の発想を抱いていた。彼はHCIを無味乾燥なコントロールとフィードバックのループとして構成するのではなく、不断に入れ替わる観察者と当事者たちの間で交わされる、技術的かつ人間的な“対話”として作り上げることを考えていた。
- 上記のようなビジョンの中から浮かび上がってくるのは、ゆるやかで寛容なフレームワーク、すなわち我々が“underspecified(※うまい訳語がまだ思いつかず)” だと感じるような枠組みの中でしか、真に価値のあるエクスペリエンスは生まれないというスタンスである。
- ドン・ノーマンは、UXデザインの心得として、それを利用する人物を「ユーザ」でも「顧客」でも「消費者」でもない一人の「人間」として理解しなければならないと説いた。それはもっともだが、今はそれだけでは足らず、利用者自身の思うがままに製品やサービスの構成要素をアレンジしたりデータを取り出せる特権を用意し、一部に不具合が生じても利用に支障が無いようなシステムを作る必要がある。
- 要するに、デザイナーではなくユーザにより多くのコントロールを委ねる必要があるのだとすれば、エクスペリエンス・デザイナーの仕事は無くなってしまうのか?もちろんそんなことはない。
ただ最終的には、ベストなソリューションというのは、人々が各自のエクスペリエンスを自分で形成できるようなデザインをするということになるだろう。このことは、インタラクションデザインに関する有名な2冊の書籍のタイトルの差異にも現れている ―
Dan Safferが書いたのは『Designing for Interaction』、
Bill Moggridgeが書いたのは『Designing Interactions』。
これらのタイトルは、言葉の上ではごく些細な違いしかないが、意味的には重要な違いがある。今や誰もがエクスペリエンスを構成し、デザインすることに一段と長けているのであり、要するに、もはやデザインはデザイナーだけがするものではない。 - ここに至って見えてくるのは、デザインするエクスペリエンスをいかにシームレスにするかということよりも、いかに“美しいシーム(継ぎ目)”を作り出すかということが、コンセプトとして重要だということだ。これは元々、ユビキタス・コンピューティングの父として知られるXerox PARCのMark Weiserが作り出した言葉である。その分野ではいまだ支配的な、スムーズで区切りの無いシームレス性を重視する考え方よりも、Weiserはユーザが自分の出会ったシステムに入り込み好きなようにいじれる手段を提供したいと考えたのだ。うまくいけばそのようなシームが、ユーザに喜びや美しさをもたらす契機となるはずだと。
この考えは、その後他のデザイナーたちにも受け継がれている。ある製品やサービスを構成するさまざまな要素の間に、その全体をよりしっかりと感知できるようなシームを作り出すことが、エクスペリエンス・デザイナーとしてやる価値のある仕事だと言えるだろう。 - 長い目で見れば、高度にネットワーク化されたこの時代に優れたエクスペリエンスを提供しようとするならば、どんな時に我々の努力がもっとも受け入れられるのか、そして我々がデザイナーとして、どんな時に手を引かねばならないのかを知ろうとする謙虚さを持つことが必要なのである。
・・・というわけで、かなり大雑把なサマリーになってしまいましたが、いかにもAdamらしく辛口な面白い記事でしたので、少しでも雰囲気が伝わればと思い、ポストしてみます。自分の感想は、また後日に(汗)。
お時間と興味のある方は、ぜひ原文を読んでみていただければと思います。
UXに関しては日本でも最近ますます注目が集まっていますね。
来るWeb標準の日々でもUXのトラックが設けられていますので、ぜひ参加しようと思っています。


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