今年も残すところ、あと数日となりました。
この一年の間に読んだ本を振り返ってみるとしたら、みなさんにとってどんな一冊がもっとも心に残っているでしょうか?
私の場合、それはこの飾り気のない、まるで教科書のようなクリーム色の本でした。

さて、この「モンテッソーリ教育」とはいかなるものか?
ウィキペディアでの解説は、次のような概要紹介から始まっています。
モンテッソーリ教育とは20世紀始めにマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。イタリアのローマで医師として精神病院で働いていたモンテッソーリは知的障害児へ感覚教育法を施し知的水準を上げるという効果を見た。1907年に設立した貧困層の健常児を対象とした保育施設「子どもの家」において、その独特な教育法を完成させた。
ここではモンテッソーリ教育のメソッドを“独特”な教育法と形容していますが、実際のところその影響は非常に大きく、世に出てから約1世紀が経過した現在ではむしろ“普遍的”な考え方として受け容れられつつあるように感じます。
特にアメリカではモンテッソーリ教育の普及度が高く、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、Amazonのジェフ・ベゾス、Wikipediaのジミー・ウェールズなどもモンテッソーリ教育を受けたということが、ウィキペディアにも記されています。
ここ日本でも、(とは言え、自分が住んでいる東京近辺での印象ですが)、たとえばボーネルンドやクレヨンハウスといった子供用品専門店、デパートのおもちゃ売り場をのぞいてみると、モンテッソーリ理論に基づいてデザインされたような、カラフルで素材にもこだわった製品がたくさん揃っているようになりました。
また、雑誌やウェブなどで目にする育児情報についても、親が子供をコントロールする/親が子供に何かをやらせる、という旧来の“親中心教育”は陰をひそめ、子供のニーズや意欲に応じて必要な教えを施すという“子供中心教育”へのパラダイムシフトが感じられます。
この“子供中心教育”、いわばCCE(Children-Centered Education: 浅野の造語です…)とでも呼ぶべき考え方は、モンテッソーリ教育の核心をなすものです。
このモンテッソーリ理論に出会った頃、ちょうど私はITの世界でますます重視されつつあるUCD(ユーザー中心デザイン)についてあれこれと考えていたところでした。
そのため、分野としてはまったく毛色が違うものの、その両者に驚くほど共通点があることに気付いたのです。
この今年最後のポストでは、『モンテッソーリの教育法 基礎理論』から重要なフレーズを引用しつつ、それらの共通点を振り返ってみたいと思います。
(引用文中の太字の強調箇所は原文に則しています)
◇◆◇
子どもはたくさんのイメージをあつめてそれらを記憶のなかに刻みこみます。
大人はこの作業を直接的にはなにも手伝えませんが、邪魔にならないようにたえず注意しなければなりません。」
そう、生まれたての赤ちゃんでさえ、空っぽの器というわけではありません。その命が芽生えてから約10ヶ月、母親の胎内ですでにさまざまな体験を重ねてきた子供の中には、自分の意思が芽生える土台が形成されています。その芽がいったいどんな草や木に育っていくのか、その可能性は無限です。
モンテッソーリ教育における教育者の役割は、植木を剪定したり盆栽を作り上げるように、自分の観点から子供をコントロールすることではなく、むしろ自由に伸びようとする芽にとって障害となるものを取り除くことだと言えます。
デザインの分野で想定すべき「ユーザ」も、まさに子供のように潜在的/自発的な意思を秘めた存在です。
作り手の意図に基づいてユーザに“使わせる”のではなく、ユーザが自分自身の意思でふるまった結果、自然に“使える”ようなデザインをすることが重要なのです。
◇◆◇
この秩序は子どもの生活の一部をなし、子どもはできるかぎりこの秩序をまもろうとします。
子どもはものがいつも同じ場所にあることを好み、秩序が乱されると再びもとどおりにしようとします。」
モンテッソーリ教育では、特有の教具(※)を用いてこのような秩序の形成を行うことを非常に重視します。なぜかというと、教具という“モノ”を使って外的/物理的な秩序を形成することが、子供の内的/心理的な秩序を生み出すのにも役立つと考えられるからです。
(※)モンテッソーリ教具についてのわかりやすい説明が、東京都大田区のわかば園という幼稚園のサイトにあります。
デザインの分野でも、この「秩序の形成」が重要なことは言うまでもありません。体系化や一貫性の保持といった、秩序の形成を助けるための工夫は、情報アーキテクチャやインターフェースデザインを行う際に欠かせない中心的課題です。
そして、子供と同じくユーザにとっても、自分が形成した秩序(具体的には、製品やサービスについての認識のパターンや使い方のルールなど)は、大切な資産です。デザイナーの都合で、それを理不尽に乱すようなデザインをしてはなりません。
◇◆◇
ところで、わたしたちはすべてを子どもの自由選択にゆだねます。
なぜなら、やりたい仕事を選ぶとき子どもは、強い内的な動機に導かれているということがわかったからです。」
おしつける作業は子どもの害になります。なぜなら、それによって作業に対する最初の反抗心が生じるからです。」
子どもは活動するだけでなく完全になりたいという衝動をもっているので、わたしたちは、そこに含まれている自動的な間違いの訂正によって導かれている子どもに、作業をただしく順序よく完成させることをまかせます。
子どもは世界の探検者になり、そして世界の奥へもっと深くはいり、発見したものを利用したいという願望をもつようになります。」
何事も子供が自分の意思でやり始め、やり終えたら自分で片付ける。これも、モンテッソーリ教育の重要な方針のひとつです。
普通の幼稚園や保育園では、先生が「これから○○で遊びましょう」「時間が来たから片付けて次は○○をしましょう」などと段取りを決めながら過ごすものですが、モンテッソーリ方式の園ではそのようなことはないはずです(残念ながら、日本ではモンテッソーリ教育をする施設はまだまだ少数であり、私の子供が通っているのも普通の保育園です)。
すべてを子供の選択にゆだねるというのは、言うは易し行なうは難し。傍から見ているとつい手や口を出したくなってしまうのは、子供に接することの多い方なら誰しも身に覚えのあることと思います。そして、自分では良かれと思って「手伝ってあげるよ」「そうじゃなくてこうしなさい」などと割り込んだ結果、事態が好転するどころか悪化してしまったという苦い経験もあるでしょう。
モンテッソーリ教育で使用する教具には、子供が自分で間違いに気付き、それを直せるような工夫がなされており、教育者が要らぬ介入をせずに済むようになっています。
問題を“自己解決”できるというスキルは、人間が生きていく上で非常に重要となりますが、その大切なスキルを身に付けるための環境がそれらの教具によって作り上げられているのです。
再び、デザインの世界でこの「自由選択」や「適切な環境」、「間違いの自己訂正」というキーワードについて考えてみると、そのどれもがユーザ中心デザインと深く関わっているのが分かります。
ユーザのニーズや意思を尊重すること、ユーザの身の丈に合った環境を用意すること、もしミスをしてもユーザが自分自身でやり直したり解決できるような工夫をすることが、いずれも重要となるからです。
◇◆◇
(中略)
わたしたちの教育法と他の教育法との相違点は、このような自由のなかで子どもがよろこんで仕事をし、自己活動を通して文化を習得して、規律が子ども自身のうちから生じるという点にあります。」
モンテッソーリ教育の最終目標とは、このように自力で伸びていく子供の潜在的な能力を最大限に引き出し、その内なる自律性を養うことで、子供を真の“自己実現”へと導くことだと言えます。
ないものを与えるのではなく、あるものを引き出すことがその本質なのです。
上記の引用文は、「子ども」を「ユーザ」に、「教育法」を「デザイン」に置き換えて読んでもそのまま意味が通じてしまうでしょう。
私たちがデザインするものが、ユーザの日々の生活や仕事の中で彼らにいくばくかの“自由”をもたらすことができたなら、それがデザイナーにとって本望ではないでしょうか。
◇◆◇
このクリーム色の本は、もちろん本来の子育てについても、実に貴重な教えを与えてくれました。
公私に渡って、この本との出会いが自分にとって大きな気づきをもたらしてくれたことに感謝し、この一年を締めくくりたいと思います。
最後になりましたが、今年もこのブログをご覧いただいた読者のみなさま、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。
そして来年はぜひ、UXBC Tokyoでみなさんにお目にかかれますように!