小学生の時、私は自分で考えついた、ある一人遊びをよくやっていた。
他愛もない一種のだまし絵ごっこのようなものだ。
その遊びができるのは、塾帰りの夜道を一人で歩いている時。
空には雲がまだらに浮かんでいて、月は見えない夜でなければならない。空全体のうち、雲の占める部分の合計がちょうど半分くらいなら理想的だ。
その夜空をじっと見つめて、頭の中で「図」と「地」を反転させる。
つまり、雲の部分が空で、その間に見える空が雲だ、と自分の眼と脳に思い込ませる。
これがうまく行くと、夜なのに不思議な仄白さで光る「空」に、吸い込まれそうな薄暗さを湛える「雲」が浮かぶのが見えるという、まるで異次元の世界に迷い込んだような体験ができるのだ。
子どもだった自分は、この幻想的な遊びに夢中になった。
もう子どもではなくなった今も、ふと思い出してこの遊びをしてみることがある。
そして、子どもの頃と同じように、自分の感覚がゆらりと足場を失いそうになるのを感じる。
今までこの目で見ていたもの、それが一瞬にして姿を変えてしまう。
そこにあると信じていたもの、それがたちまち消え失せてしまう。
子どもの頃はただ面白がるだけだったこの遊びに、実はそういうおそろしさがあったことに気付き、しばし呆然とさせられる。
『アンビエント・ファインダビリティ』を翻訳した後、2006年の春に東京でピーター・モービルに初めて会う機会に恵まれた。その時、私はこの本が5つのキーワードに集約されると思う、と話した。
- ロングテール(Long Tail)
- 検索(Search)
- 錯綜する(Intertwingled)世界
- 権威(Authority)
- コミュニケーション(Communication)
この中で私が一番重要だと思うキーワードは「権威」なのだけれど、あなたはどうですか?と尋ねてみたところ、彼も同じ意見だったのを思い出す。
あれから5年経った今年の春、私たちはまさしく情報のファインダビリティが人の命を左右する苛酷な現実に直面し、それ以来、確かな「権威」を備えた情報を必死に追い求め続けている。しかし、権威が信用とシンプルに手を結ぶほど、世界はもはや単純ではない。「あの人の言うことは間違いない」、そう信じていた相手が、危機的状況においてはまるでデマゴーグのように振る舞うのを目にした人もいるだろう。何を自分にとっての権威と認めるべきなのか、その判断はますます難しさを増すばかりだ。しかも、今や情報のファインダビリティそのものさえ、無条件に善なるものとは言い切れない(こう書きながら私が想いを馳せているのは、ジュリアン・アサンジ、ブラッドリー・マニング、エイドリアン・ラモという、「情報の開示」に命運を握られてしまった三者三様の生きざまである)。
ピーターがあの本で語っていた通り、正しい情報は人の命を救うこともあるし、その反対に、間違った情報のせいで人の命が失われることもあり得る。でも、現実はそれだけでは済まない。真実を知ることが誰かを殺すこともある。生きていくために、ある種の嘘を必要とすることだってある。
で、結局どうすればいいのだろう?
今年は自分自身、まだそんな出口のない思念から抜け出そうともがく途中で、どうやら新年を迎えてしまいそうだ。
1年前にこんなことを書いたのが、まるで遠い世界でのことのようだが、 空は空、雲は雲。頭の中だけで堂々巡りするのは程々にして、ちゃんと目を開いてこの世界を見つめていきたい。
本年もこのブログをご覧いただいた皆様に、心より感謝申し上げます。
どうぞよいお年をお迎えください。
こんちわ。更新おつかれさまです。
2011年はおいらにとって、知れば知るほど本当のことや単純な事実さえも見失いがちになったり、その正確性に疑念を抱いたりして堂々巡りをすることが多かった印象です。(ただでさえそうだと言うのにw)
本年も色々とお世話になりました。どうぞ良いお年を♪
コメント感謝です。本当にその通り、今年はあまりにもタフな年でした。もちろんそこで得たものもありますが、失われたものの大きさを思うと言葉がありません。
とは言え、お互い今ここに在ることにとにかく感謝しつつ、これからも日々自分なりに淡々と歩んでいきたいですね。
来年もよろしくお願いします(^人^)