「集合知」から考える、これからの情報社会のかたち

西垣通氏が今年の2月末に上梓されたばかりの『集合知とは何か – ネット時代の「知」のゆくえ』を手に取ったのは、いつも知的興奮を与えてくださる佐々木裕一氏のブログでのこの記事がきっかけだった。
私がこれから書こうとしている文章は、言うなれば佐々木氏への「返歌」である。

インターネットの利用が普及し、CGMやSNS、ユビキタスコンピューティング技術などが私たちの日常にますます浸透し、リアルとバーチャルという旧式な二分法が崩壊しつつある時代、そして日本においては東日本大震災という大きな試練を乗り越えようとしている現在。それは、トップダウンで硬直的で権威主義的な専門知への失望と、ボトムアップで弾力的で“民主的”な集合知の形成への期待がますます高まりつつある時代でもある。
西垣氏が訴えているのは、いわゆるクオリアが支える一人称の「主観知」から、社会で共有することが不可欠となる三人称の「客観知」を導くことの複雑さと難しさであり、その両者を橋渡しするための、対話によって構成される「二人称の知」の重要性だ。
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これからのデジタルデザインに望む3つの(IA的)キーワード

長谷川恭久さんの記事を拝見して。
いつも素晴らしい記事をありがとうございます>ヤスヒサさん

デジタルデザインにおける「色あせない」とは
手で触れることができない無形のモノだからこそ、私たちが目指すデザインのゴールも目では見え難い関係性や体験なのかもしれません。他分野と少し違うかもしれませんが、デジタルにもきっと色あせない何かがあるはずです。

「変化を認め、変化を楽しみながら作り続けること」。
これからのデジタルデザインにおいて、どうすればそれを実践できるのか。特に、情報アーキテクチャ(IA)の観点から、どんな心構えが必要になるのか。
そう考えたときに、3つのキーワードが頭に浮かびました。
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「透明なインターフェース」再考のためのメモ(2)

前のエントリーで紹介した『Windows and Mirrors』には、実は「Interaction Design, Digital Art, and the Myth of Transparency」というサブタイトルもついており、『メディアは透明になるべきか』という邦題は直訳というわけではない。「インタラクションデザイン」というカタカナ用語は、10年前の日本ではWeb業界の中ですらあまりなじみのないものだったはずで、キャッチーな言葉とはみなされなかったのだろう。
この邦題にこそ「〜べきか」と付いているが、この本はメディアやインターフェースが透明になる「べき」か「べきでない」かを一方的に断じてはいない。その両方の可能性を提示するのが本書の主旨であり、判断はあくまでデザイナー自身に委ねられている。私はそう理解している。

この本のことを教えてくれたのは、IAIのボードメンバーで『Pervasive Information Architecture』の著者でもある、アンドレア・レスミーニ(Andrea Resmini)だ。Facebookの「Information Architects」グループで私がリンクを貼ったこんなポストがきっかけだった。
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「透明なインターフェース」再考のためのメモ(1)

ドン・ノーマンは、1998年に発表した『The Invisible Computer(邦題:インビジブルコンピュータ – PCから情報アプライアンスへ)』の冒頭で、こう記している。

Start over again, make the computer invisible. An information appliance is a user-centered, human-centered humane technology where the computer literally disappears behind the scenes into a task specific device that maintains all the power of modern technology minus the complexity.

コンピュータは一種のインフラであって、もの静かで目につきにくい、出しゃばらないものであるべきだ。ノーマンはかつてそのように述べた。こうした「透明性」の実現は、コンピュータという機械のみならず、機械と人間との間に介在するインターフェイスのデザインにおいても、ある種の理想として語られることが多い。自分自身も、これまでその大切さをあまり疑うことはなかった。
しかしここ最近、そういう考え方を揺さぶられるような材料が、自分の身の回りに次々と見つかるという事態が生じている。もしかすると、インターフェイスの「透明性」というものを、もっと相対的に見つめ直すべき時なのかもしれない。
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覚え書き:セマンティックWebコンファレンス2013

慶應義塾大学SFC研究所の主催により毎年無料で開催されている「セマンティックWebコンファレンス」に今年も参加してきたのだが、今回は結論から先に書いてしまおう。
このイベントは年を追うごとにますます面白くなっている。肩書きは問わず、情報アーキテクチャに興味関心がある方ならきっと新たな発見が得られるはずのイベントなので、ぜひもっとたくさんの方に参加をおすすめしたい。
ちなみに、FacebookグループにJoinしておくと、最新情報を入手しやすくなるはず。

というわけで、今年度のコンファレンスで気になったポイントをいくつか。
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『マニフェスト 本の未来』の翻訳に参加しました

マニフェスト 本の未来

2013年2月20日にボイジャーより発売される書籍『マニフェスト 本の未来』の翻訳のお手伝いをさせていただきました。
電子版(¥1,000)と印刷版(¥2,800)が同時発売されます。[ 取扱書店リスト» ]

現在は先行公開版として、クレイグ・モド(Craig Mod)氏が著した「デジタル時代の書籍デザイン」の章を無料で読むことができます
彼は先ごろ、「超小型」出版(Subcompact Publishing)という革新的なコンセプトによって、大きな話題を呼んだことでも知られていますね。

本書は、現在とても激しい流れの中にあるパブリッシング技術や出版ビジネスの世界で、一日も早くその価値を問いたいという想いの下に、多くの翻訳者が集まり手分けして作った本になりました。私もファンの一人であるyomoyomo氏や堺屋七左衛門氏とも、このような場を共有できたのは大変幸せなことです。

この記事のメインイメージとしてボイジャーのサイトから転載許可をいただいた上の画像は、New York TimesやTIMEのピクチャーエディターとして知られる Patric Witty が撮影したものだそうです。
この人々が見上げている先にあるものは、いったい何なのでしょうか?

ボイジャーのサイトには、「刊行にあたって」としてこのような文章が記されています。

「本書のプロモーションとして Patric Witty の協力を頂きました。写真は9.11の同時多発テロ事件でのものです。多くのメディアがビル崩落に注目した時、Patric Witty は人々の表情にカメラを向けました。その視線こそ、メディアに欠くことのできない精神として私たちは心に銘じてきました。本書の刊行にあたり写真を用いた理由は、ここにあります。」

本書はまさに、電子書籍というオブジェクトの未来を各人各様の観点から切り拓こうとする、ユニークな著者たちの思いが結集した本です。
ぜひ多くの方にとって刺激的な一冊となることを願っています。

活動中心デザイン(ACD)をめぐる雑感

前回の記事のタイトルに“再考”という言葉を付けておきながら、肝心のその中身を書かずに終わってしまったので、あらためて自分なりの想いを少し記してみたい。

長文にも関わらず、3つの記事を最後まで読んでくださった方は十分お分かりのはずだが、ノーマンの目的は決して人間中心デザイン(HCD)の価値を貶めることなどではない。彼は、HCDの考え方をより洗練した結果として活動中心デザイン(ACD)という別のアプローチを提示しているのだが、ACDはHCDを完全否定して上書きするものではなく、それらはどちらも必要だし、役に立つのだと述べている。その点は、まずきちんと理解しておきたい。

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アダム・グリーンフィールドの記事を翻訳してみよう

アダム・グリーンフィールドが一昨日、ちょっとした心境をブログに投稿していたのだが、その英文が翻訳の実習用素材にふさわしい感じだったので取り上げてみたい。
翻訳とは、やればやるほどその奥深さを知り、喜びを味わうことができる、この上なく素晴らしい仕事だと日々実感しているが、この記事で自分がどのように原文を咀嚼し訳文を紡いでいるのか、そのプロセスの一端を記してみることで、翻訳という作業の面白さが少しでも伝わればと思う。願わくば、英語が好きな方にはもちろん、苦手意識を持っている方にも。

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Make、FabLife、「つくりかたの未来」について

実に1年半ぶりに発売されたオライリー・ジャパンの『Make: Technology on Your Time Volume 12』にて、「キットとイノベーション」のセクションの翻訳をお手伝いさせていただきました。

このセクションは、yomoyomo氏と手分けして翻訳させていただいたのですが(光栄です)、『MAKERS』の著者であり先日『WIRED』編集長を辞任して本格的に“メイカー人生”を歩み出したことで話題になったクリス・アンダーソンのインタビューなどを私が担当しています。
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言語の不定性についての(1年半前の)雑感

稀なことではあるが、なんとなくモレスキンに思考メモのようなものを書き付けることがある。それらは後でもっと深く考えて、いずれブログにまとめようと思いながら、そのまま眠っていることがほとんどだ。今回は、ある方から今朝届いたメールがきっかけで思い出した、2011年4月12日付けの「言語の不定性」と題されたメモについて、1年半経った今あらためて掘り起こしてみたくなった。

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