「デザイン・フィクションとデッドメディア」について

このブログでは時折、SF作家ブルース・スターリングについて触れてきました。私が情報アーキテクチャ(IA)とスターリングの関わりを意識するようになったのは、2006年のことです。その年、米国シアトルに赴いて参加した「IDEA 2006」というカンファレンスで、情報アーキテクチャについての刺激的なスピーチをする彼を目にしたのがきっかけでした。デザイナーでもインフォメーションアーキテクトでもない彼が情報アーキテクチャについて生き生きと語り、その行方を探っていることを、とても嬉しく感じたのです。

以来私は、スターリングの言動を追うようになりました。アメリカ外交公電ウィキリークス流出事件(通称ケーブルゲート事件)や、国家安全保障局(NSA)に属していたエドワード・スノーデンの告発を受けてスターリングが書いたエッセイを、翻訳したこともあります。これらのエッセイは、元々ハッカー文化に深く関わっていた彼ならではの独特な切り口で、情報社会におけるメディアと私たち人間の関係の危うさを語るものでした。

でも実は、スターリングがメディアのデザインへの関心を明らかにするようになったのは、もっと以前のことでした。その節目となったのは、彼が1995年に立ち上げた「デッドメディア・プロジェクト」であり、2005年に生み出した「デザイン・フィクション」という言葉とその概念です。

今回、私がエクリに書いた記事では、スターリングによるデザイン・フィクションの思想と、それ以前に彼が深く関わっていたデッドメディアを振り返り、さらに現代美術のプロトタイプ理論も交えながら、技術社会におけるデザインについて考えてきたことをまとめてみました。

過去と未来をつなぐデザインの可能性と、その魅力を感じながら、この記事を楽しんでいただければと思います。

Design Fiction and Me.

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