探すことと見つけること ― ベリーピッキングモデルをめぐる考察

もう10年近く前のことです。インターネットが日々の生活に浸透してきた当時の情報体験をテーマとした、『アンビエント・ファインダビリティ』という本を翻訳した私は、その出版記念イベントで、こんな質問を受けました。

"findability" は、"searchability" と同じものですか?

その場で自分がどう説明したか、正確には記憶していませんが、それらが同じものではない、と答えたことは覚えています。その違いを、いま改めて言葉にするとしたら、こんな答えになりそうです。

"searchability" とは〈検索可能性〉のことなので、何らかのシステムを利用してその対象を検索したときに、それが検索結果として返ってくるかどうか、ということを意味しています。でも私は、"findability" が、探しものをしている自分自身にとってそれ以上の価値がある〈発見性〉であると考えています。もし、検索した結果が自分の求めていたものではないと感じたなら、"searchability" の確認ができただけで、"findability" はまだ満たされていない、ということになるでしょう。つまり、どれだけ多くの成果が得られたとしても、探しているものが見つかったと認識できて初めて、私たちは "findability" を実感できると思うのです。

もちろん、その違いをどう捉えるかは、人それぞれでしょう。しかも、私たちが情報を探すための環境はこの10年の間に劇的に変化してきましたし、これからも変わり続けていくはずです。今から10年後には、私自身の見方も変わっているかもしれません。もし、みなさんがそう質問されたなら、どんな風に答えるでしょうか。

今回、私がエクリに書いた記事では、Web誕生以前に情報検索の未来を探っていた図書館情報学者、マーシャ・ベイツのベリーピッキングモデルについて調べながら、自分が今までさまざまな形で関わってきた、探すことと見つけることについて考えてみました。

私たちが日々行なっている「探しもの」がどのように理解され、現在の "searchability" や "findability" の実現にどうつながってきたのか。それらを思いながら、この記事を楽しんでいただければと思います。

Laptop berries.

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